外見判断の危険?

かつて和尚一休が墨染めの袈裟を着用し、食卓に招かれた際、末席に通され、今度は紫紺の袈裟を身に纏い、食卓に招かれた際には上席に通され、それを皮肉り膳に袈裟を着せたという話は周知の通りである。

 そこから言えることは何か?お分かりであろう。然り!人を外見で判断することの危険性を示唆しているのである!

 では、日常に適用してみよう。例えば世には「障碍者」と呼ばれる存在が数多であるが、そのような者に対して、兎角精神疾患を抱えた者については、何がしが偏見であり、蔑視であり、そのような物の見方がごく一般化されてはいないだろうか?

 筆者も体験したことではあるが、「障碍者」と聞くと、それだけで煙たかったり、或いは蔑視の対象となり、結果的にその人の背景には目もくれず、唯々自身よりも何がしか身分の低い者或いは、ある事が出来ない為にいじめの対象となし、軽んじたり…。

 しかし!しかしだ!あくまでその人は偶々訳あって「障碍者」という身分に追いやられた存在だとしたら?その蔑視は、正しいであろうか?

 結論からすれば「否!」である!

 世に言う「障碍者」の中には、途方も無く学歴が高かったり、あるいは有名大学の出であったり、そのような頭脳明晰故に、あらぬ事にて困惑し、結果的に「障碍者」と呼ばれる立場に追いやられてしまった。

 そのような者も存在するのだ!

 では、我々が「障碍者」と呼ばれる人物と遭遇した場合、或いはそのような立場を会社などで採用した場合、どのような対処が適切であろうか?

 無論その存在を重視し、決して蔑視の対象とするのは言語道断!

 然り!その存在を重んじ、兎角丁重に迎え入れ、その人の外見ではなく!人となりに深い洞察を駆使し、その障碍を得るまでの労苦に、時には傾聴しその存在を受容し丁寧に取り扱うそのような姿勢が肝要である!

 然り!その人は偶々「障碍者」なだけであって中身は、我々一般人と変わらない「人間」

なのだ!

 何が言いたいのか?

 それは「障碍者」は蔑視の対象ではなく寧ろ「重視」の対象である!と言いたいのだ!

 然り!その蔑視は無意味である!

 その人は或いは蔑視している自身よりも、学歴が高かったり、有名校の出であったり、そうでなくても、労苦多き人生を歩み、人間的には「厚みのある」然り!真人間な場合が往々にしてあるのだ!

 故にだ!「障碍者」を蔑視の対象と一蹴し、十羽一絡げに軽視し軽んじ、差別してしまうのはあまりに危険なのだ!

 然り!ここからも解る通り、人は見かけによらないのだ!

 外見で人を判断してきた者達よ!その考えを改めよ!

 その外見判断は誤謬であり!危険なのだ!

 その蔑視をやめよ!

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