【そもそも人間学とは何か】 そもそも国家とは何か(4)

知古嶋芳琉です。

前回の続きです。

引用しておりますのは、安岡正篤師のご著書、

『東洋倫理概論』の現代語訳、

『人間としての生き方』です。

ここも『素心(そしん:本心、かざらない心)』を以って、

十回でも百回でも千回でも、

何度でも繰り返し繰り返し、

玩味・熟読していただき、

深慮に深慮を重ね、

一人の人間として、

いかにあるべきか、

いかに生きるべきか、

いかなる行動をなすべきかを明確にし、

信念を持って実践しなければ、

安岡先生を読師に貶(おとし)めることになります。

必ず

聖徳を以って人を善導する

『導師』としなければなりません。

 なぜならば、

経書とは

積極的な参加を要請するものであるからです。

したがって、

読者の意識の有無に関わらず、

実践を大前提とするものであります。

−−−引用はここからです−−−

現代語訳『東洋倫理概論』を読む

■ 本論

第一編 志尚 早年の倫理

第五章 至尊および社稷(しゃしょく)に対する忠愛

 ○ 欧州君主政治の実相

 今日なお君主をいただいて、

立憲政治の中でもっとも優れたものを持つ

と言われる英国においても、

「君民一体、億兆心(こころ)を一(いつ)にして

世々(よよ)その美を済(な)す

(君主と人民が一体となって、すべてが同じ心で、

父祖の業を受け継ぎ、美しい国を造り続ける)」

教育勅語

といったような実(じつ)は、

ほとんど発見することができない。

 君主と人民とは常に相矛盾し、

互いに仇(あだ)や敵と考える対立関係にあった。

英国憲法の淵源(えんげん:物事の起こり基づくところ。

根源。みなもと)ともいうべきマグナカルタ

いかにして制定されたか。

 それは十三世紀のはじめ、

国王ジョンの圧制に憤激して

起(た)ち上がった貴族僧侶市民が

テームズ河畔ランニミードの野において、

臣民の生命財産の安全を保証するように

王に迫って、

強いて署名をさせた

十三条の契約である。

しかも、

次に立ったヘンリー三世は

忽(たちま)ちこのマグナカルタを無視し、

再び苛政(かせい:重い税金を取り立てる無慈悲な

政治)を欲しいままにしたので、

シモン・ド・モンフォールなどが

反旗を翻(ひるがえ)して王を捕らえ、

1265年、貴族僧侶ほか州や市の代表者を集めて

議会を開き、

これを以って

国王の一方的で横暴な態度に備えることにした。

これこそ英国下院の始まりではないか。

それから

チュードル王朝

スチュアート王朝を通じて、

どんなにか

君民の反目、嫉視が深くなっていったことだろう。

 その間に国を去って

新大陸に安住の地を求めた

ピルグリムファーザーズ

英国国教会の強制から信仰の自由を求めて

メイフラワー号で新大陸へ渡った

百一人のピューリタンの人々)もある。

いわゆる尻議会によって

逆に

反逆者の罪名を宣告され、

刑罰として殺戮された

国王チャールス一世もある。

このようにして

終始英国憲政史は

惨憺たる君民闘争の跡を語るものである。

そのほか、みなこの例に等しい。

 ○ 欧州君主政治思想

 そして、

このような時代の政治思想にもまた、

東洋に存するような君臣一体の

深い味わいのある

幽玄な理想を発見することはできない。

専制君主政治の思想的な根拠は、

結局のところ

大きく分けて

次の二説とすることができる。

一つは絶対的服従説(王権神授説など)、

もう一つは相対的服従説(契約説)である。

 王権神授説によれば、

宇宙は神によって支配される統一体であって、

地球はもとよりその一部に過ぎない。

神はこの地球を支配するために、

ここに君主という代理人を設定したのである。

それ故に

君主は

その支配の権限、権力の源泉を

神から受けた神聖な存在である。

だから

君主は、

ただ神に対して責任を持つだけで、

人間に対しては何らの責任を負うものではない。

彼は自己の自由意志に随(したが)って、

いかなる統治をもすることができる。

 これは、実にスチュアート家の諸王や

ルイ十四世などの信条であった。

ことにルイ十四世のごときは、

このような思想の上に立つ帝王学

皇太子に対して侍講(じこう:国王や皇太子に講義を

すること、また講義する人)させたものである。

有名な僧ポスウエは、

すなわち

太子の侍講となって

帝王神権説を盛んに鼓吹した

(意見を盛んに主張し、他人を共鳴させようとする)。

君主に対する臣民の立場は、

神に対するようにこれを崇敬し、

絶対にこれに服従しなければならない。

民に対する君主の権力は無限であって、

君主はただ神に対して責任を負うのみである。

したがって、

君主といえども神法には従わなければならないが、

しかし

果たして

君主の行為が神法に適合しているかどうかは、

到底

臣民の下れる意志によっては

判断できる限りのものではない。

 また、ジャン・ボーダン(16世紀フランスの政治哲学

者。『国家論』で主権の定義と限界を論じ、限定君主

制を唱えた)は説く。

原始時代の諸家族間の争闘において、

敗者は勝者の奴隷となり、

勝者はすべて自己の首長の権力の下に

統率されるところから、

次第に自然的自由は、中身が変わって

政治的服従を現実のものとするようになった。

国家はこのような人間の結合の最終の形式である。

つまり、

国家は多数の家族およびその財産より成り、

そこにはこれを統一する最高の権力がある。

これを主権という。

故に

この主権を有する者は

他の何物にも制限されるものではない。

ただし、

神法、自然法による国家存立の根本法は

尊重しなければならない。

君主がこの理に背けば暴君であるが、

しかし暴君であると否とは

単に

君主の道徳的な責任であるとした。

つまり、

彼の説は征服という歴史的事実に基づく

機械的な議論で、

深い哲学をまったく持ってはいない。

 次に

フィルマー(17世紀イギリスの政治家。

王権を家父長権から説き、

王権神授説を唱えた)の説によれば、

君権(くんけん)の本質は家長権と同一である。

神が世界を創造したまいしとき、

アダムに人および物を支配する

唯一の権限を与えたまい、

アダムはこれを子孫に伝えた。

古(いにしえ)の君主は

こうした

神が授けた家長権に基づいて、

親(みずか)ら家長として

家に属する一切の人と物とを支配したのである。

 今や国家は発展して、

国王と臣民との家族関係は認められなくなったが、

支配権の性質は依然として変わることはない。

したがって、

昔家長が享有したような一切の支配権は

今日といえども、

もとより国王の自然に有する権力である。

 相対的服従論者は言う。

人間自然の状態は矛盾衝突を免れない。

その点から観て、

人間の生活は

まことに

万人の万人に対する戦いであり、

人の人に対する在り方には

狼や山犬のようなものがある(ホッブスの思想)。

 そこで

人間は互いに契約して、

何か一つの

強大な権力によって

統制される社会を作らなければ治まらない。

国家は

このような契約の産物であり、

君主は

このような契約の下に立てられた統率者である。

故に

一旦

国家を作り、

君主を立てて

服従を約束した以上、

これを破るのは正義に反する

(フーカー(イギリス国教会神学者)、

ホッブス(イギリスの政治哲学者)など、

16、17世紀の思想)。

 しかしながら、

このような浅はかで薄っぺらな理論によっては

到底

長く人心を支持することはできない。

契約論などは、

つまり

国家も君主も

方便のために

便宜的に

人民が設置したものにほかならないから、

当然

方便のために

また

これを撤廃するのも

構わないということに帰着しなければならない。

事実

これが(旧教に対する)新教主唱者、

暴君放伐論者、

ロック(17世紀イギリスの哲学者)、

モンテスキュー(17〜18世紀フランスの哲学者、

法学者)、

ルソー(18世紀フランスの政治哲学者)などを貫く

思想であり、

人民の都合のために

ついに

地上から

君主の影は

次第に

星のように

消えていったのである。

 たとえば、

宗教改革者であるルーテルは考えた。

いかにも国家は神聖なる存在である。

政府は神に代わって善人を保護し、

悪人を滅ぼし、

公共の安寧秩序を維持しなければならない。

国家は

決して

いわゆる

やむを得ない悪事ではなくて、

人民は

心から政府に服従

仕えなければならないものである。

しかしながら、

人民が政府に服従

仕えるのは

決して

無条件的にそうであるのではない。

人民は

政府を通じて

神に仕えるのである。

故に

政府が

人民の神に仕えることを妨げるならば、

それこそ

人民は寸毫も政府に屈する必要はないと。

すなわち

彼は

権力者の独占から

神を奪い還したのである。

ミルトン(17世紀イギリスの詩人。

清教徒側の戦闘的な論客)は説いた。

人はすべて自由である。

人の自己を保存しようとする能力、権利は

天から分け与えられた天賦のものである。

ただ、

アダムが神意を無視して以来、

人に争い悩みが絶えないから、

人は互いに約束しあって国家を作り、

この契約を完全に履行させるために、

君主ならびにその他の機関を設定し、

かつ、

それらの権限を定める法律を作ったのであるから、

君権といえども

決して無制限なものではない。

もし、その正当な権限を破り捨て、

人民の天賦の自由までも無視するならば、

人民はこれを排斥するのに

何の不都合もない。

この説が英国民の権利の主張に

非常に深い影響を与えたことは

明らかな事実である。

彼は

こうして

スチュアート王朝の専制に

激しく反対したのであった。

 やはり

一種の契約論であって、

ホッブスなどの言うような争闘状態は認めないで、

自然法すなわち理性は

人間に相互の自由の尊重を教える。

ただ、

自然状態にあっては

他を侵害する者が出た場合、

これを審判し

制裁しなければならない

一定の機関がない。

そこで

各人の生命財産の安寧秩序を

共同して確保するために

多数の人が契約して国家を作り、

その職務を完全に遂行するために

諸種の権(立法権・執行権・外交権)を

人民から政府に委託したのである。

したがって、

政府が

その設置された目的の範囲を超えて

人民を迫害するならば、

人民はいつでも起(た)って委託を取り消し、

政府から

それらの権利を

奪い返すことができるとしたのはロックである。

 ○ 欧州君主政治崩壊の必然の理

 このようなものが

西洋君主政治下における

政治思想の一般である。

 私はそれらの思想を通じて、

あくまでも矛盾的、差別的な特徴を

感じないわけにはいかない。

すなわち

君主の思想にせよ、

人民の思想にせよ、

各々我見・我執にとらわれた狭い我、小我を以って

相対立する差別世界に住んで、

常に見聞が狭く、古臭く、頑固な小我を主張し、

したがって

著しく権利の観念に富んでいる。

権利という観念の基礎は

相対的立場にあって、

自己が一定の利益を享有するべきことを

他に認めさせようとする意志にある。

故に

相対的立場を離れて

自己と他とが溶け合って

一つになる(自他融合)時は

権利という観念は存在しない。

親が子の孝行を喜ぶとき、

親は

決して

子に扶養される権利があるとは思わないのである。

同じ理由によって、

君民の意志が契合し、

ふたつのものがぴったり合えば

王権神授説や

契約論的民権説が主張される余地はない。

君主が神権を主張するとき、

彼は人民をその「我」に包容していない。

人民もまたその契約説で酬(むく)いるとき、

君主から冷たく離れて一人でいる。

 こうして

彼らの人類結合の最終形式とした国家も、

実は

君民を統一した

有機的組織ではなくて、

単に

君民を集合した

機械的体系である。

君主と人民とは

本来

不二の(ふたつとない)関係ではなくて、

元々別個の存在である。

このような君民関係にあって、

どうして

国家に生命あり

感激のある政治を期待することができようか。

西洋君主政治の倒壊は

もとより必然の運命である。

−−−−引用はここまでです−−−

ここからは知古嶋芳琉が書いています。

最後のところで

安岡先生は、

西洋の思想には、

『矛盾的、

差別的な特徴を

感じないわけにはいかない。

すなわち

君主の思想にせよ、

人民の思想にせよ、

各々我見・我執にとらわれた

狭い我、

小我を以って

相対立する

差別世界に住んで、

常に見聞が狭く、古臭く、頑固な小我を主張し、

したがって

著しく

権利の観念に富んでいる。

権利という観念の基礎は

相対的立場にあって、

自己が

一定の利益を

享有するべきことを

他に認めさせようとする意志にある』

として、

その特徴を明確にされました。

 そのうえで、

『故に

相対的立場を離れて

自己と他とが

溶け合って一つになる(自他融合)時は

権利という観念は存在しない。

親が子の孝行を喜ぶとき、

親は

決して

子に扶養される権利があるとは思わないのである。

同じ理由によって、

君民の意志が契合し、

ふたつのものがぴったり合えば

王権神授説や

契約論的民権説が主張される余地はない。

君主が神権を主張するとき、

彼は

人民をその「我」に包容していない。

人民もまた

その契約説で酬(むく)いるとき、

君主から冷たく離れて一人でいる』

として、

悲劇が繰り返される

根本的な原因を

明らかにしておられるのであります。

 これは、

要するに、

第二次世界大戦

見事にこの国が倒壊させられた後に、

戦勝国であり

自国の軍隊を進駐させて支配した

米国から押し付けられた「民主主義」を

はき違えた者が

「権利」「権利」と、

自分の「権利」ばかりを言い張って、

我利我利亡者と成り下がってしまった理由の

一つであります。

その弊害は、

国家の中枢から全国の津々浦々の

家庭の中にまで及びました。

 従って、

結局は

GHQの戦略が見事に功を奏して、

大和民族を自滅の道へと導いた結果であることは

間違いのない事実であります。