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ヨーロッパ絶対王政と音楽家 その5

《英雄》になり損ねたナポレオン −ナポレオンとベートーヴェン

 ナポレオン・ボナパルト(1769-1821)は,地中海上のコルシカ島の貧しい貴族の次男として生まれた。家が貧しかったことに加え,身長が167cmと当時のフランス人の軍人としては低く,18世紀にフランス領となったコルシカ島出身ということで,差別的な扱いをされることも多かったようで,容姿や出自などさまざまなコンプレックスをバネに猛勉強し,陸軍士官学校を優秀な成績で卒業し,軍人としてめきめきと頭角をあらわしていった。

 フランス革命においては,ジャコバン派(ヴァレンヌ逃亡事件で事実上軟禁されていたルイ16世に対し,全国から集まってきた義勇兵たちが王権を停止させた後,男性普通選挙法により成立した国民公会で力を増した急進共和主義派)を支持し,1794年〈テルミドール9日のクーデター〉でジャコバン派が失脚した際,「ロベスピエールとつながりがあるのでは……」と疑われ一時,逮捕・収監されるものの,翌1795年王党派の蜂起〈ヴァンデミエールの反乱〉において副官に起用され首都パリの鎮圧に成功,「ヴァンデミエール将軍」と呼ばれ,国内軍司令官の地位を手に入れる。

 〈第1回対仏大同盟〉によってヨーロッパ中を敵にまわしていたフランスは,1795年,穏健共和派を中心に〈総裁政府〉を発足させ,オーストリアと戦うことになる。イタリア側からオーストリアを攻撃するイタリア派遣軍司令官となったナポレオンは連戦連勝!オーストリアとの間に講和条約を結び,パリへ帰還したナポレオンは祖国の英雄として国民から熱狂的歓迎で迎えられる。1798年にはイギリスとインドとの連絡を絶つことを目的にエジプトにも遠征(このときにエジプトで発見され,ヒエログリフ解読のきっかけとなったのが〈ロゼッタ・ストーン〉なのだ!)する。

 1799年,イギリスがロシア,オーストリアなどと〈第2回対仏大同盟〉を結び,フランス国境を脅かすようになると,ナポレオンは国民の支持を失った〈総裁政府〉を倒し,3人の統領からなる〈統領政府〉をたて,第一統領として事実上の独裁権を握った。1801年にイギリスと講和したナポレオンは,国民投票で圧倒的な支持を受け,皇帝の位に就き,ナポレオン1世と称した。

 ナポレオンとほぼ同時期に活躍した音楽家が,L.v.ベートーヴェン(1770-1827)だ。彼は,交響曲第9番の合唱の歌詞に「すべての人々は兄弟になる」というフリードリッ・フォン・シラー(1759-1805)の「歓喜に寄す」を用いたことや,文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749-1832)と散歩中オーストリア皇后一行と出会った際,脱帽・最敬礼で行列を見送ったゲーテに対し,ベートーヴェンはそのまま行列を横切っていったという逸話からも明らかなように,政治的には自由主義者で,リベラルで進歩的な政治思想を持っていた。ナポレオンの活躍には好意を寄せており,交響曲第3番もナポレオンに献呈するつもりで《Eroica(英雄)》という副題をつけていたのだ。

 「ナポレオンが皇帝になった」という知らせを聞いたベートーヴェンは,「やつも威張りたいだけの俗物だったのか!」と言って怒り,ナポレオンへの献辞と《英雄》と題の書かれていた表紙を破りすてたという。国民的英雄ナポレオンは,皇帝となったことで,ベートーヴェン交響曲第3番の「英雄」にはなれなかったのである。